以下は、2022年の11月に発行した通信に載せた文章です。「勉強」あるいは「勉強ができない子」についての考えを書いています。


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「こりゃっ、親たち、子どもをちゃんと褒めよ!」(萩原先生の言葉より)

「勉強」について、先日の保護者会で少しお話したことを、欠席された方もいらっしゃいますので、少し補足して書かせていただきます。

上の留生の作文に「ここはかなり特殊な塾だ」とありますが、ティニータイニー(以下T.T)も、もちろん塾なので勉強をします。ただ、勉強への向き合い方は他の塾とは違っているかもしれません。ここでは、ティニータイニーが勉強についてどのように考えてきたかを書きたいと思います。

ティニータイニーの創設者、萩原尚先生は「子どもの成績が悪いので心配です」と相談を受けたとき、このように答えていました。「自分の子を他人の子と比べてはいけない。比べられてやる気になる子はいない。あなたの子どもはまだ勉強する時期にはきてないだけかもしれない。あるいは勉強にはむいてないかもしれない。でもあなたの子にはすてきな個性があり、長所がある。それを親のあなたも大切にしたいでしょうし、ティニータイニーでも尊重して育てようとしている。それで十分ではないか」「子どもは叱られ、批判されることで『小さなよい子』にはなっても、自信のある子にはならない。長所を認めてやらなければ子どもは伸びない」

また、「成績が上がらないのでT.Tをやめます」と言ってきた母親にはこのように言いました。「子どもの成績が心配でたまらないあなたは、家で勉強をしろといい、自分で教えこんで、できないと叱る。子どもが勉強をきらいになったのは、あなたが過剰に心配し、勉強を強制し、できないと叱るからだ。子どもが自分の意志で勉強に目を向ける日は来ないかもしれない」

萩原先生は、小学生キャンプや夏合宿、英語劇、スキー教室などの行事をおこなうことで、子どもたちにとって楽しい場をつくるとともに、子どもたちの長所を見つけることを常に考えていました。「勉強で活躍ができない子にだって、かならず長所がある。それを見つけて、指摘し、ほめて、勇気を与えてやればよい。長所がない子なんていない。自分に見つけることができなくても、仲間たちとのいろいろの活動の中で、誰かが気付いてくれる」そして、長所を認められて、仲間たちとのつながりを得て、他の塾では果たされなかったであろう成長をたくさんの生徒が果たしてきました。私、櫻井もそのうちのひとりです。

さて、私がT.Tを引き継いで約15年となります。そして、年月が経つほどに、萩原先生の始めた活動のすごさ、すばらしさを実感しています。この教室がただひとつの正解だと言うつもりはありません。すべての子どもにあった教室ではないかもしれません。しかし、私は、いくつかの失敗や反省を経て、T.Tのやり方に自分自身で納得を深めてきています。

たいていの場合、子どもについて問題となるのは「成績が悪い」場合です。しかしこれに対して、本当に問題になるのは「親がこれを問題にして子どもに過度な要求をするケース」であると思っています。「親があまり気にしていない(?)ケース」の場合は、子どもは日々を楽しみながら、最終的には自分の生き方を見つけて巣立っていきます。もう少し詳しく書きます。

かつてのある生徒の母親は、子どもの成績をこと細かに管理(パソコンにデータを打ち込むなど)し、点数や順位が下がるときびしく子どもを責めました。そして次のテストへの対策として「問題集を××日までに〇〇ページまで終わらせる」等の「約束」をさせ、それができないと「T.Tの合宿に行かせない」などのペナルティを与えました。その子は少し英語が苦手で、特に英単語を覚えるのを苦手にしていましたから、私は「まわりの子と同じように英単語を読み書きできるようになるには、もう少し時間が必要になるので、長い目で見てあげてはどうか」と言いました。英単語は2~3回練習すればできるようになる子もいれば、20回書いて覚えられるかどうかという子もいます。覚えてもすぐ忘れてしまう子もいます。しかし母親は「10回書いてもだめなら、20回、30回と練習すればいい。△△高校に行きたいと本人は言っているのだから(これは親の願望にあやつられているだけですが)、そのくらいはできるようにならないと」と言って、努力を強いました。さて、その子は結局、夜遅くまで家に帰らなくなり(深夜まで本屋などで立ち読みしていた)、T.Tがある日も「帰りたくないなあ」と言いだすようになり、学校へも行かなくなり(親へのせめてもの抵抗でしょうか)、「T.Tの合宿に行かせないよ」と親が切り札にしていた、そのT.Tも辞めました。また、他の女の子で「土・日は遊びに行かずに4時間以上家で勉強するように」と親に言われてその通りに勉強しつづけた子がいましたが、中1から中3まで、そして高校でも成績はまったくと言っていいほど上がりませんでした。テストに出るところは覚えるのですが、たとえば「日本を縦断すると約何キロでしょう?」と問われて「50km」と答えるなど常識的な部分が欠けてしまっていました。T.Tもテスト前は休んで家でひとりで勉強し、授業に来ても、授業を聞きながら学校の課題をやるなど、目の前のテストのことだけしか考えていませんでした。テストのためだけに、あるいは自分のためだけに勉強している子は、「ある程度の良い成績」はとれても、そこから大きく伸びることは難しく、本当の「勉強する意味」を見つけることもできないと私は考えています。

子どもにとって親は絶対です。自分に命を与え、その命を守ってくれる存在ですから。その親に「約束しろ」と言われたら、たとえ守れそうになくてもその場ではうなずくしかありません。また、成績が悪いことを叱り、親が「勉強しろ」と言ってしまうと、子どもは「親に言われて勉強する」ことになってしまい、「親に評価されるために勉強する」ことになり、これによって自分から勉強する意欲がわくことはなくなり、テストに出るところ以外への興味がなくなります。親が「あなたを信用していない」というメッセージを発していることにもなります。そしてがんばってもがんばってもそれがかなわないと分かり、親に認めてもらうことをあきらめてしまうと、親子の関係や、子どもの心がこわれてしまいかねません。「『親が勉強しろ』と言うと成績が上がらない」、これが私の考えです。植物に水や栄養を与えすぎてもかえって害になってしまうように。

もっと勉強のできない子がいました。小6になっても九九が言えませんでした。学校ではきらいな先生の授業があると家に帰ってしまったり、T.Tでも気分が乗らないときはごろごろと転がっているだけだったりしました。空っぽのランドセルを背負って学校へ行き、帰ってくるとランドセルいっぱいに石がつまっていることもあったそうで、かなりの問題児として扱われていました。ところが保護者会でお母さんに会うと「この子の人生はこの子のものですから」と言うだけで、心配をしている様子はみじんもなく、面談もその子の「個性」を一緒におもしろがって笑うだけで終わってしまうといった感じでした。その子はT.Tでの活動は大いに楽しみ、合宿やスキーには欠かさず参加して大いにかわいがられ、人とのつながりをつくっていきました。その生徒は、高校生になってからいよいよ能力を発揮し、数学では何と学年1位となりました。私にとっては驚愕すべきことでした。T.Tでも、もちろん、みんなから憧れを集めるかっこいいお兄さんになってくれました。

「家ではまったく勉強しないんです」と親に相談を受けた別のケースでは、「それを心配なさってますか?」とたずねると「いいえ。こちら(T.T)にお任せしてますから私は何にも言ってません。でも彼の兄はもう少し家でも勉強していたんですけどね、末っ子だからですかね」といったのんびりした様子でした(お兄さんもT.Tに通っていたので信頼していただいていました)。その生徒は中3になるまではマイペースで成績も低迷していましたが、入試が近づくとスイッチが入り、私は何も言っていないのに「毎日教室に来て勉強するのでプリントを用意してください!」と勝手に宣言してそれを実行し、偏差値を18上げて(T.Tの最高記録)、お兄さんと同じ高校に合格しました。

勉強ができる子は、先生にほめられ、友達に認められ、自分でも達成感を得て、親からもほめてもらえます(自己肯定感が4ポイント上がるとしましょう)。対して勉強ができない子は、先生に注意され、友達にバカにされ、自分でもがっかりし、親に叱られます(自己肯定感が4ポイント下がります)。これを繰り返すことで、自己肯定感の差がどんどん広がっていってしまいます。勉強をしてもいいことがひとつもないので、勉強がきらいになっていきます。ところがここで、親が「大丈夫」と伝えてあげれば、子どもの心は守られるのだろうと私は考えています。「何があっても親は愛してくれる、信じてくれる、守ってくれる」そういう安心感があるからこそ、子どもはそこから飛び立っていけます。そのくらい、私などの言葉などは無力だと思えるくらい、親の一言は絶大な力をもっています。テストが悪かったとき、叱るよりも、「この問題ができたんだね」とほめるところを探してほめてあげたほうが、「やばいじゃん、どうするの?」とあわてるのではなく、「大丈夫」と安心させてあげたほうが、長い目で見たときに良い結果になると思います。勉強など、いくらでも取り返しがききます。中3になってから、かつてわからなかった中1の内容を学んだって良いのです(T.Tでは下の学年の授業に来てもOKです。中3になって入会し、まったく中1、中2の勉強がわからなかった子が毎日通って都立に受かったこともありました)。しかしこのときに、「自分はどうせダメだ」と思ってしまっている子は本当にダメになってしまいます。勉強ができなくても、親がしっかり自己肯定感を守ってあげていた子は、やるべきときに立ち上がる力をたくわえています。

なぜか勉強に関しては、できない子に対して「努力が足りない」「さぼっている」という言われ方をします。何事にも向き不向きがあり、それを個性と認めてもよいはずなのですが(歌や絵の才能や、運動能力や、外見のように)。「そんなこと言っても先生、うちの子は家ではずっとダラダラしていて、私が言わなきゃひとっつも勉強しないんです」とおっしゃる方もいます。でも、私は、それはそれでよいと思っています(単に提出物や宿題の存在を忘れている場合は別として)。どの子も「勉強ができるようになれるならなりたい」し、「やらなきゃいけないことはわかっている」のです。そして学校ではがんばっています。T.Tでもよくやっています。勉強が苦手な子ほど、集中をするのにも理解をするのにも覚えるのにもエネルギーを使っています(そういう意味では、すんなりできる子以上にがんばっているかも知れません)。勉強以外の活動(部活動など)でもたくさんのエネルギーを使って、多くのことを学んでいることでしょう。そんな子が、家でリラックスするのがそんなに悪いことでしょうか?家でゆっくり休み、また次に向かうエネルギーをたくわえるのが、本来の家庭の役割ではないでしょうか。大人で考えてみるとよいですが、仕事から帰ったあとも休むことが許されなかったらどうなってしまうでしょうか。「つかれてしまっても、つらいことがあっても、家に帰れば休める。安心できる」そういうふうに思えるからこそ、家の外でがんばることができるのではないでしょうか。家で追いつめられている子は、家の外で安息を求めるようになります。学校や塾の授業中に集中できなかったり、他人に対して攻撃的になったり、あるいは無気力になったりします。私の高校時代の担任の先生は、「自分の息子がテスト前にずっとリビングでテレビを見てダラダラしているとムカついてなぐりたくなるが何とか我慢している」と話してくれたことがあります。「これまで生徒の親には『子どもに勉強しろなんて言っても逆効果ですよ』と言ってきたのに、いざ自分が親になると『ただ黙って見守る』ことの難しさを実感している」とのことでした。

今、自分の子どもが自分の望む姿ではなかったとしても、「信じて期待する」ことができれば、子どもはそれに向かっていきます(ピグマリオン効果)。T.Tでも、それは常に意識されていることです。夏合宿ではお互いに「長所を見つめて」評価をすることを求められます。中1のころは何も出来ず、人に迷惑をかけ、「どうなってしまうのだろう」と心配された子が、高校生になって人の前に立ち、人を楽しませ、人から憧れられる素敵な存在へと成長していく、ということが私が見てきたなかでも何度も起こってきたことです(生徒の作文をお読みいただければ、感じていただけると思います)。はっきり言えば、勉強うんぬんよりもそういう成長を子どもが果たしていくことが私の一番の願いです。そしてそういう栄養(自己肯定感や非認知能力と言ってもよいですが)をたくわえることではじめて、本当の学力も養われていくのだと思っています。

遊びのなかでこそ、子どもは成長していきます。楽しいことをしているときこそ、脳は活動しています(時間があっと言う間に感じます)。そうやって脳はきたえられ、考える力や集中力を身につけていきます。勉強ができないなら遊んではいけないのではなく、勉強ができない子こそ遊ぶべきです。遊びにも質があります。ゲームが悪いとは言いませんが、それだけではいけません。人との関わりが生まれればなお良いでしょう。T.Tでの活動は、そんな良質の遊びを提供しているつもりです。

「非認知能力」や「自己肯定感」の重要性や育て方などに関して今ではいろいろな研究がされ、ニュースなどでも目にする機会がありますが、そのたびに私は「これは萩原先生が40年以上前からやってきたことではないか」と思わされます。この教室に今受け継がれているものは、すべて萩原先生がつくりだしたものです。私はまったくえらそうなことは言えません。萩原先生のように子どもを見つめ、それを言葉にし、伝え、伸ばしていくということが私には同じようにできていないだろうとも思います。しかし先日の保護者会では、ほとんどの方に「楽しく通っています」と言っていただき、うれしく思っています。たとえば英語では「英検に合格する」というようなはっきりとした目標や成果があるわけではないのですが、T.Tのやり方に納得していただいていると感じました。T.Tではこれからも、子どもと遊び、子どもを信じ、子どもに期待して、ともに成長を目指していきます。

長くなってしまいました。みなさまには、特にT.Tにお子さんを通わせていただいているみなさまには、釈迦に説法であったかと思います。もしご意見やご感想がありましたら、ぜひお寄せください。